はい!もともと大学では地元の愛知を出て、九州で一人暮らしをしてみたいと思っていました。
志望していた建築系がある大学のなかで、学力的に合っていたのが《九工大》でした。
また、高校2年生の時に学校で配布された大学案内(当時の白い表紙パンフレット)が可愛くて印象に残っていたことも理由のひとつです。
はい。進路を考え始めたころは、美大などでデザイン、特にモノづくりに興味があったのでプロダクト・デザインをしてみたいと考えていました。ですが、センスがすごく重要になる世界で、自分のセンスにそこまで自信が持てなかったので、センスと勉強が半々くらい、かつ、モノづくりができそうと考えて《建築》を志望しました。『国土デザインコース』に進んだ理由は…ぶっちゃけ、入学後のがんばり不足です(苦笑)建築学コースは枠が20人と少なく、そこに入れませんでした。
振り返ってみると、モノづくりへの興味はありましたが、建築士に対しては「絶対になりたい」という気持ちがそれほど強かったわけではなかったので、それが努力の量と結果に現れたのかな、と思います。
積極的なコース選択だったとは言えませんが、卒業を控えた今、『国土デザイン』で学べたことにとても満足しています。そう考える転機になったのは3年生で受けた吉武先生の「国土計画論」です。都市計画の中で聞いた「土木が造り出したものは50年、100年と残る」というお話に心が躍り、自分もそういう事に関わりたいと強く思うようになりました。
この時に感じたことは就職先を探す上でも大きく影響しました。卒業後は、コンクリートなど建築材料の耐久性や安全性が基準を満たしているかを試験して品質保証をおこなう機関に就職します。
50年、100年と続く、街と人の暮らしを支える最初の部分に関わりたいと思って選びました。
卒業研究のテーマは「氾濫原における浮遊土砂の堆積状況の基礎的検討」です。実験装置を使って、河川氾濫流に含まれる土砂の挙動を把握し、平面2次元解析モデルの解析結果と比較検証を行いました。
最終的に平面2次元解析で実験結果を再現することはできなかったのですが、浮遊土砂の堆積状況を予測するには3次元解析が必要であるという結果考察になりました。この気づきを得た時に、研究をやってよかった、と感じました。
一番の思い出は学習支援のサークル活動です。せっかく九州に暮らすので大学以外でのつながりもたくさん作りたいと思って、入学前に見つけていた学習支援サークル「ぱーぷる」に1年生から入りました。
実は最初は「女子部員はひとりもいないんだよね…」とやんわり断られてしまったんです(笑)。諦めきれなかったので、友だちを誘って入部を認めてもらいました。市民センターで小学生に勉強を教えたり実験をしたりするのですが、市民センターの方に「女子学生が来てくれるようになってありがたい!」と言っていただけて嬉しかったです。
コロナ禍で制限もあったのですが、落ち着いてきた頃に、小学校の校庭を借りて大型のペットボトルロケットを飛ばす実験ができたんです。子どもたちがみんな本当に喜んでくれて!学生時代で一番の思い出ですね。
「ぱーぷる」のInstagramはこちら
卒業研究です。とにかくやることが多くて!いつもキャパオーバーになっていました。研究を進めるためには多方面から考えて、何を調べるかも含めてひとつひとつ自分で考えて、調査して…の繰り返しで、それまでやってきた「勉強」とは全く違う領域に足を踏み入れた感じでした。
かなり苦労しましたが、最後に卒業論文にまとめるときに、たくさん調べたことが根拠となり結果に繋がっていることに気づけて、すごく嬉しかったです。苦労が報われた、やり切って卒業できるという気持ちになりました。
高校時代とは違って、大学4年間では学びたいことが学べます。私が専攻した「土木」は領域が広いということもあるかもしれませんが、学んでいく中で自分が思ってもいなかったことに興味を持っていることに気づくこともできます。私の場合はそれが都市計画でした。
大学入学前にやりたいことを決めていればもちろん伸びることができますし、しっかりとは決めていなくても自分で見つけて伸びることができると思います。授業や研究だけではなく、サークル活動なども通してたくさんの人と出会える機会を自分から作っていってください。